Moonlabor

社畜のグラフィティ

ラブライブ!最終回

あまりにもそのままのタイトル

 

さてこのブログを作った経緯すら忘れるほど放置していたわけだがラブライブ!最終回(というよりもアニメ2期)について纏めるとする。

 

ラブライブ!について知らない人が居たとしても態々前置きする必要はないのでここでは割愛する。

 

今年の4月から放送していたアニメラブライブ!2期の最終回を迎えた。

私はこの作品に対してプロジェクトが開始された当初は非常に懐疑的であった。

何故ならその当時はアーケードの頃からハマっていたアイドルマスターの二匹目のドジョウと言わんばかりに思っていたためだ。

 

しかしそんなアイドルマスター2010年9月18日を前に足を洗うこととなる。

 

ラブライブ!を忘れていた頃に夏色えがおで1,2,Jump! を聞きこのプロジェクトの方向性がアイドルマスターとは別のものと認識し始める。

 

そうこうしているうちにアニメ化の発表があり2013年1月から3月まで無事にアニメを完走した。

 

昨年から今春まではラブライブ!に関するイベントやその他の場で数々の出会いがあり非常に楽しむことが出来た年であった。

 

cf.

 

さて、本題に戻るとする。

 

多くのラブライバー(ラブライブ!ファンの呼称)は2期が決まり盛り上がりを見せていたと感じる。

 

その一方で私はこの3ヶ月間非常に訝しい見方をしていた。

何故ならアニメラブライブ!2期の内容があまりにもこれまでの作品内容からは突飛だからである。

 

以下はラブライブ!が好きな方には不快かつ稚拙でアレな文章が続くことを先に謝るとする。

 

個別的に挙げるとすれば1期では主人公である高坂穂乃果を起点に廃校危機からの再生、サクセスストーリーとでも言うような内容が2期ではただただ回を重ねるだけなのだ。

当然これは1期という土台がある以上完成された物語から始まることは避けられない。

しかしながら、1期で出場機会を逃した『ラブライブ!』に出場し優勝する事が物語の着地点である筈がμ'sのメンバー達の日常をただただダラダラと描くだけであった。

これが悪いこととは思わないが無理に某洋ドラを意識した描写や前後の脈略が無い様など兎に角違和感を覚えた。

 

12話に置いては事実上の最終回となるような『ラブライブ!』本大会のステージに上がり物語の着地点へと到達するがアニメ1期のOP曲である『僕らは今のなかで』が突如アンコール曲として流れ始める。

 

そして最終回である13話。

μ's達のこれまでの努力や思い出といったものを思い起こさせる描写が続くわけだが未だに纏まらない。

 

私が比較対象にしたいのがけいおん!!(2期の方)である。

cf.

 

けいおん!!も見方によってはHTTのメンバー達の日常をダラダラと描いていただけに思われるが私はそう思っていない。

これは私がけいおん好きというのもあるが2期はその後公開された『映画けいおん!』への布石が散りばめられていたからだ。

ラブライブ!と比較する場合共通項になるのが女子高生のモラトリアム期であることは誰もが思うし容易だと考えられる。

しかしながらけいおんは1期、2期、劇場版と段階を分けて主人公である平沢唯をはじめとするキャラクターたちの成長過程を見て取れた。

ここがラブライブ!との違いではないかと考えている。

 

ラブライブ!2期では夢や希望、私達の想いといった漠然とした言葉が先行し、μ'sのメンバーの成長過程というものが見えてこなかった様に思うのだ。

キャラクターの個別回で掘り下げていただろという反論があって然るべきだがやはり脚本に対して押し付けを感じてしまっていたと私は感じた。

 

ここまで自分でもよくこんな駄文を書けるなと関心するが恐らく1割位は的を射ているんじゃないかと思い込んで締めとする。

 

 

追記(2014年7月4日)

改めて読み返してみると誤字があったので修正。

そして勘違いのないように書き加えると私自身ラブライブ!は現在も好きであるということだ。

 

今後劇場版の公開も予定されているのでけいおんとの比較にも更に注目していきたいところである。